2018年3月10日土曜日

移りゆく阪和線の顔

1月某日、久々に阪和線の支線、羽衣線を訪れていました。

ここ数年で急速に活動の機会が少なくなった103系
かつてスカイブルー103系といえば阪和線の象徴的存在でしたが、
本線上からは既に姿を消し、支線の羽衣線のみの運用となっています。
大阪環状線や大和路線からも103系が撤退済みのため、
これが大阪府下最後103系となります。

大阪で最後の103系とはいえ、そこは羽衣線
日中の列車はのんびりとした雰囲気が漂っています。

単線高架区間を走り東羽衣駅に入線する103系

高架の2面1線という珍しい構造をした東羽衣駅ですが、
駅工事の関係で片側のホームは使用停止になっています。

2年前高架に切り替わった南海本線(下り)103系の組み合わせも今だけの光景です。

ちなみに南海本線の上り線は現在も地上を走っています。

東羽衣駅の見物を終えて同じ103系で鳳に戻ります。

鳳方先頭車のクモハ103-2503。
運転席の窓ガラスがHゴム支持で一昔前の風情が感じられます。

鳳-東羽衣、ひと駅間を黙々と往復する103系
大阪で最後となった活躍の日々にも間もなくピリオドが打たれようとしています。

2018年2月19日月曜日

高雄市内を走る藍皮客車

今回の記事は昨年の8月に撮影した内容ですが、遅れに遅れて今の掲載(汗)

台湾に渡航中の早朝、高雄市でレンタサイクルを借りて凱旋三路を走り、
野ざらしのプラットホームにたどり着きました。
ここは一般利用の駅ではないものの平日には朝と夕方に1本ずつ列車がやって来ます。

 プラットホームの少し先の踏切で待っているとその列車がやってきました。
ディーゼル機関車が2両の青い旧型客車を引っ張るスタイルです。

客車の扉が開けっ放しになっていますが、
乗車しているのは近くの鉄道工場で働く台鉄の職員なので問題ありません。

朝の通勤バイクが大勢待つ踏切をゆっくりと通過していきます。

線路は踏切の先でループ状になっており、列車は向きを変えて戻ってきます。

改めて客車を撮影。普快車にも連結される客車と同じタイプのようです。

出勤する台鉄職員を運んだあとは夕方まで引き上げます。

職員列車が通過した踏切は台湾鉄路管理局の工場、高雄機廠と隣接しています。

普段は可動式の柵で仕切られていますが、工場の端は道路が横断しており、
道路から構内の様子を見ることが出来ます。

高雄機廠は主に客車、貨車の整備を行う工場になっています。
職員列車が走った線路は工場で整備を受ける車両の回送線ともなっています。


夕刻、左營~新左營間の陸橋を訪れてみました。
ここは台鉄と台湾高鉄を同時に撮影できるスポットとして知られています。

午後5時を少し回った頃、高雄方面から朝と同じ編成の列車がやってきました。
夕方も同じく職員列車として高雄機廠から高雄を経由し新左營まで走っています。

相変わらずあらゆる扉が開けっ放しのまま、陽が傾く高雄の町中を走っていきます。

2018年1月13日土曜日

ツートンカラーに蘇ったナロー電車

先日、三重県の三岐鉄道北勢線を訪ねました。
ナロー軌道で知られる北勢線、沿線に着くとすぐに小ぶりな黄色い電車が現れました。

今回訪れたのは楚原-麻生田間の田園地帯。
1916年(大正5年)築のコンクリートブロック造りによる眼鏡橋が目印です。

眼鏡橋を渡る北勢線電車
付近に急カーブがあるため速度を落としてトコトコと橋を渡っていきます。

眼鏡橋を渡り急カーブを曲がっていく電車
畑の間に立つ鳥居も撮影の良いアクセントになります。

鳥居の先には北勢線の踏切を跨いで八幡神社の境内となっています。

眼鏡橋周辺で待機していると今度はツートンカラーの電車がやってきました。
この塗装はかつて北勢線を運営していた三重交通のもので、
三重交通時代に製造された200系が復刻塗装としてこの色に塗り替えられています。

200系は急カーブを曲がって終点の阿下喜へ向かいます。

少し場所を移動して阿下喜から折り返してくる200系も撮影してみました。

1959年(昭和34年)に製造された200系
当時の塗装の方がしっくりとくる気がします。

撮影を終えて少し北勢線に乗車してみようと思い東員駅へ
車を止めて夕暮れ時の空を見上げると筋状に伸びる雲が印象的でした。