2016年12月24日土曜日

大山の麓を往く鉄道

12月中旬、頂上に雪を湛える中国地方最高峰の大山
数日前まで居座った寒波も去ったとあってこの大山の麓で撮影してみることに

大山の麓から鳥取県米子市を流れる日野川にかかる山陰本線の橋梁で撮影開始
伯備線新見から来たキハ120と大山の絡み

米子で折り返してきたキハ120を煙突がよく目立つ王子製紙の工場と合わせてみました。

鳥取米子を結ぶ快速「とっとりライナー」
1両のディーゼルカーですが、軽快に駆け抜けていきました。

朱色のキハ47の2両編成がのんびり鳥取へ向けて走っていきます。

山陰本線のこの区間で一番目を引くのはやはり特急「やくも」
この撮影地に着いた直後の2本のみ在籍するパノラマグリーン車付き編成が通過していきました。

1時間後の「やくも」には非貫通先頭車の編成がやってきました。

この「やくも」、4両の基本編成に3両を増結した7両編成となっていますが、
これは元「くろしお」「こうのとり」で使用されていた381系を入れて新たに組まれた編成とのこと


おまけで米子から境港を結ぶ境線の列車も撮影していました。
終点の境港出身の漫画家水木しげる氏に因んだ鬼太郎ラッピングの気動車が行き交います。

境線の沿線にある米子空港

こちらにも鬼太郎の大きなモニュメントがあるなど水木しげる氏の地元をアピールしています。

2016年11月26日土曜日

多彩な車両が行き交う西小倉

お城のイラストが入った駅名標が特徴の西小倉駅
10月に下関総合車両所を訪れた同じ日、この駅にも立ち寄り少しばかり撮影をしていました。

鹿児島本線の下りホームから上り列車を狙って撮影
門司港行きの普通列車で811系がやって来ました。

JR九州のコーポレートカラーを纏った813系も次々にやって来ます。

西小倉日豊本線も乗り入れる駅で
同線で活躍する813系1100番台(大きな行き先表示器が目印)も見られます。

博多から大分方面を結ぶ特急「ソニック」
鹿児島本線日豊本線が交わる西小倉ではあらゆる方向からソニックが現れます。
まずは日豊本線小倉に向けて走るソニック

続いて鹿児島本線小倉に向けて走るソニック

鹿児島本線小倉に向けて走るソニック
日豊本線を走り小倉で方向転換した後、鹿児島本線博多に向かうソニックのすれ違いシーン

特急「きらめき」2号小倉行きに充当される787系

国鉄時代から在籍する415系100番台
斬新なJR九州の車両に囲まれながら交直両電源対応車として活躍を続けています。

国鉄末期に製造された415系1500番台も撮影。
2編成を連結した8両の門司港行きとしてやって来ました。

最後の写真は日豊本線を介して小倉まで直通する日田彦山線の気動車キハ147
西小倉には1時間ほどの滞在でしたが、実に多彩な車両を目にすることが出来ました。

2016年11月19日土曜日

下関にて旧型国電を見学


10月中旬、山口県の西の端、下関市にある幡生駅に降り立ちました。

幡生山陽本線山陰本線が合流する駅。
出札窓口には昔ながらの列車接近案内が設置されています。

駅に隣接してJR西日本下関総合車両所が立地しています。

訪れた日は車両所の鉄道ふれあいフェスタの開催日
車両所の構内が一般公開されると聞き、とある車両を目当てにやって来ました。

これがそのお目当ての車両、クモハ42形(クモハ42001)

この車両は1933(昭和8)年に日本車両で製造され、関西地区の東海道本線に投入されました。
関西や首都圏で活躍し最後は小野田線で2003(平成15)年まで運用された後、下関車両所で保管されています。
因みに小野田線でのクモハ42形の後継車両は同じく単行運用が可能なクモハ123形です。

 車体に取り付けられた数々の銘板に活躍の長さを感じさせられます。

戦前の電車特有のほぼ剥き出しの抵抗機器

旧型国電ながらJR化後も活躍していたため、JR西日本の案内ステッカーも貼り付けられています。 

車内はもちろん非冷房、木材を中心に造られた車内にはボックスシートと扇風機が並びます。

戦前の電車に多く採用されたスタンションポールも備えています。

幌受けがない反対側の先頭部はかなり違った印象をうけます。
側面を見ると旧型電車とは言え路面電車や琴電のレトロ電車とは違う20m級の車体に圧倒されます。 


クモハ42形の見学を終え、建屋内に入ると大型クレーンの操作実演の最中で
黄色い105系が台車と分離され吊り上げられていました。

構内には広島地区で導入が進む227系の姿もありました。

留置線では車両撮影会も開催

「サロンカーなにわ」のヘッドマークを取り付けたトワイライト色EF65 1124

今年リーグ優勝を果たした広島カープに因んでカープラッピング115系も展示

 下関総合車両所の役割の一つに余剰車の解体があります。
敷地の隅には227系の導入で余剰になった車両が幾つか留置されていました。

かつて可部線で活躍していたクモハ11が敷地の隅に放置されているのも見えました。

車両所から帰る際に線路脇を歩いていると思いがけず下関行きの「みすゞ潮彩」が現れました。
今回訪れた下関総合車両所にてキハ47形の改造によって生み出された観光列車です。

2016年11月4日金曜日

工場地帯の動く重要文化財

先月、関西本線四日市から自転車で10分程の工場街にある現役の可動橋、末広橋梁を訪ねました。

自転車で向かう途中、運河越しに末広橋梁を認めた時は橋は上がった状態でしたが、
列車の通過が近づき橋は次第に橋桁を下ろした状態に

末広橋梁を望むポイントとなる臨港橋(道路橋)も可動橋で鉄道踏切と同じ警報機と遮断機を備えています。
通常は普通の橋と同様に通行でき、運河を船が通るときのみ道路交通を止め橋桁を持ち上げる仕組みです。

臨港橋から望む末広橋梁
列車通過が迫り既に橋桁が完全に下りて線路が開通しています。

いよいよ列車がやって来ました。
太平洋セメントの製品を積んだ三岐鉄道からの貨物列車がゆっくりと末広橋梁に差し掛かります。

非常にゆっくりと橋梁を通過していくDD51 892とセメント貨物。
運河を越えて太平洋セメントの出荷センターへ向かいます。

末広橋梁を渡った後のセメント貨物を少し追いかけてみました。
行ってみると埋立地の引込線の端でセメント貨物は既に停車。

セメント貨物を牽引してきたDD51が列車を離れ、隣の線路で後方に回ります。

DD51が退いたと同時に太平洋セメントの出荷センターから空の貨車を引いた機関車が現れました。

セメント会社所有の赤い機関車で空の貨車が素早く入って来ます。

DD51が空の貨車を連結し、太平洋セメントの工場がある三岐鉄道へと送り返します。

空の貨車を引いて来た赤い機関車、今度はセメントを積んだ貨車を引いて出荷センターへ向かいます。

貨車と共に全力で走り去る係員。可動橋と踏切操作を担当しています。

DD51が空の貨車を引いて通過した直後の末広橋梁に戻ってきました。

係員が手前の白い小屋に入り操作を行うと橋桁の上昇がスタート

踏切の音に似た警報音と共に橋桁が上がり、それに連れて鉄の重りが下りていきます。

完全に橋桁が上昇し動作を終えた末広橋梁
こうして見ると鉄の重りが万が一の際に車止めの役割を果たすようにも思えます。

ちなみに末広橋梁は国から重要文化財に指定されており、
地味な工場街ながらしっかりとした説明板も設置されています。