2015年9月26日土曜日

海沿いを巡る元荷物電車


前回の山口県の旅の続きで宇部線宇部新川にやって来ました。

昭和18(1943)年まで私鉄(宇部鉄道)だった宇部線の拠点駅である宇部新川
特殊な経緯からか駅舎からも独特の雰囲気が漂います。

この少し変わった駅から乗り込むのも少し変わった電車
乗車する宇部新川始発小野田行きの普通に充当されるのはクモハ123-6という単行電車

先頭部をよく見ると3つの銘板が付いています。
この車両は昭和57(1982)年に荷物電車として製造されたものの、
昭和61(1986)年に旅客車両に改造された知る人ぞ知る変わり種車両だったりします。
当初は阪和(羽衣)線で活躍し、その後宇野線を経て宇部・小野田線に移るという経歴も持ち合わせています。

側面を見ると微妙な扉位置と窓配置がかつて荷物電車として製造された過去を物語ります。

旅客化改造時に他車との併結を考慮して貫通扉が追加されたため、
103系のような角度のついた前面ガラスと貫通扉が組み合わさった独特の表情となっています。

いざ元荷物電車に乗り込み、小野田線の小野田方面と長門本山方面が分岐する雀田で一旦下車

ここから雀田始発の長門本山行きに乗車。こちらも単行列車です。

雀田で乗り換えて約5分で終点の長門本山に到着。車両はクモハ123-4でした。

長門本山は屋根とベンチのみの駅舎に1面1線の乗り場という大変コンパクトな構造

長門本山は岸壁のすぐ近くにあり、周防灘越しに対岸の北九州市の山がうっすらと望めます。

実は長門本山から出る列車は1日3本のみとなっています。
乗ってきた列車は18時37分の宇部新川行き「最終列車」として折り返します。

長門本山発の「最終列車」雀田で40分ほど停車するのでその間に車内を見聞

乗車したクモハ123-4の銘板。
宇部新川から乗車したクモハ123-6とは経歴が多少異なっています。
昭和62(1987)年に荷物電車から旅客車両へ改造され(改造直後は可部線で運用)、
平成3(1991)年に再度改造を受け貫通扉が設置されたそうです。

車内でまず目を引くのが非常に長いロングシートです。
座席のクンション部が一つ一つ独立しているバケットタイプなのも特徴です。
更に採用されている大きな窓も上部が手前に折れ曲がるように開く独特のタイプとなっています。

時間があるので雀田の駅舎も見聞
コンパクトな分岐駅にノスタルジックな雰囲気が漂います。

ここにも西岩国で見かけたような電照式の列車接近案内が設置されていました。

先に発車する小野田からやって来た宇部新川行きの列車を見送ります。
車両は先ほど乗車したクモハ123-6、駅の照明に側面の独特な窓や扉配置が強調されます。

2015年9月24日木曜日

過去の栄光を伝えるモダン駅舎

 シルバーウィークを利用して山口県を旅行してきました。
その道中で立ち寄った岩徳線で保存状態の良いモダンな駅舎を見つけたので紹介します。

この駅は岩徳線西岩国駅で1929(昭和4)年竣工のどっしりとした洋風建築です。
市内にある観光地の錦帯橋をイメージしたアーチデザインのエントランス部が印象的です。

駅頭の解説板。一時期、岩徳線山陽本線の一部として編入されていた経緯が記されています。
当時、西岩国「岩国」と名乗り錦帯橋観光の拠点駅として機能したそうです。 

駅前には地元の方が寄贈した木炭ガス自動車が展示されています。

綺麗に残っている木製ラッチと国鉄時代を思わせる電照式の列車到着案内

駅舎に面した木製のホーム屋根も綺麗に整備されています。

駅舎の傍らには観光地の最寄り駅らしく臨時の改札口がそのまま残されています。

 駅構内側に回り込むと赤丹色をした瓦がよく目立ちます。

跨線橋も昔の造りを留めています。財産標には1934(昭和9)年築とありました。

 駅構内を見てみると一部線路は撤去されていますが、
非常に長いプラットホームがかつて山陽本線として機能した面影を現代に伝えています。

 タラコ色をした岩徳線キハ40が1両で入線してきました。
かつて繁栄した本線駅は今ではゆっくりとした時を歩んでいるように感じました。

2015年9月23日水曜日

秋口の新宮、那智

早くも暑い夏が去り秋の陽気に移り変わる今日この頃、
紀勢特急の様子を収めに新宮方面へ出掛けてきました。

新宮〜三輪崎間の高台から撮影した283系「くろしお」9号新宮行き

高台から線路沿いに移動して紀伊田辺行きの4扉105系を撮影

場所を移して海岸沿いへ

大きな波が打ち寄せる王子ヶ浜とワイドビュー南紀の組み合わせ

先月新宮〜紀伊勝浦間の長期運休の原因となった陥没箇所も見てきました。

復旧作業は完全に終わっていますが、
大事を取って速度制限は設けられたままとなっています。

再び新宮寄りに戻って381系の「くろしお」13号をカメラに収める

最後は夕暮れ時の那智駅へ移動

駅舎正面にある鳥居の額を模したような縦書きの駅名板が印象的です。

ここで新大阪に向かう381系「くろしお」34号を見届けます。
秋になり日没ギリギリの時間に何とか撮影

2015年9月6日日曜日

18きっぷで徳島・牟岐へ

少々前の話になりますが、8月中旬に青春18きっぷを消化すべく、四国徳島へ行ってきました。
神戸の舞子から高速バスで徳島県鳴門
鳴門のバス乗り場から鳴門駅への道すがらポカリで有名な大塚製薬の倉庫が目を引きます。

鳴門から18きっぷで入場し、徳島行きに乗車

1両編成の列車ですが、車内は高校生や観光客、お遍路の方で混雑

鳴門線から高徳線に入り、吉野川に架かる長い橋梁を渡って徳島へ


鳴門から40分ほどで徳島に到着。

お盆明け直後だったため阿波おどりのポスターが掲示されていました。

駅に隣接する徳島運転所
4年前に訪れた時はキハ40や47が中心でしたが、今では1200形や1500形が大勢を占めています。

1000形と1200形に挟まれるキハ47

一般車の新車導入が進む一方で特急気動車の陣容は変わらず、
キハ185系も特急として依然活躍しています。

新型気動車が溢れる徳島運転所の片隅で見つけた味のある看板

徳島から牟岐線1500形に乗って徳島県の海沿いを南下します。

徳島から2時間弱で牟岐に到着

ここで海部行きに接続
JRの末端区間ですが、車両は1500形最新増備車でした。

海部で再び乗り換えて阿佐海岸鉄道
徳島と高知の県境手前で太平洋が眼下に広がります。

阿佐海岸鉄道の終点、甲浦に到着。
これにて自らの四国内全鉄道線の完全乗車を達成しました。

阿佐海岸鉄道はもともと海部から高知の御免方面を連絡する国鉄の計画線を流用した鉄道で、
甲浦も途中駅のような構造になっています。

駅は切符売り場や改札のない無人駅ですが、待合所としてしっかりした駅舎が建っています。

「高知県最東端の駅」甲浦

駅のすぐ近くにあった八幡宮

元来た同じ車両で阿佐海岸鉄道を折り返し
車内には風鈴を飾るなど工夫が見られます。

海部で再びJR牟岐線の1500形に乗車

普通列車を乗り継いで夕刻の徳島駅に戻ってきました。

今でもラッシュ時間帯になるとキハ40・47の多くが運用に入るようで、
駅構内には独特のエンジン音が響きわたっていました。